かかりつけ医と家庭医と総合医とそれらを取り巻くプライマリ・ケア

先日大学の総合診療の授業の一環で開業医の先生の元をお邪魔して”プライマリ・ケア”を学ぼうっていう実習がありました。

プライマリ・ケアって言われてもなかなかピンとこないのですが、定義として「primary careとは、患者の抱える問題の大部分に対処でき、かつ継続的なパートナーシップを築き、家族及び地域と言う枠組みの中で責任を持って診療する臨床医により提供される、総合性と受診のしやすさを特徴とするヘルスケアサービスである」(1996 米国国立科学アカデミー)が提唱したものがあって、やっぱりピンとはこないんだけど、これを簡略化した5つの理念があって
1.近接性(Accessibility)
2.包括性(Comprehensiveness)
3.協調性(Coordination)
4.継続性(Continuity)
5.責任性(Accountability)
を覚えとけば良いと思います。

これを踏まえると日本だとプライマリ・ケア=かかりつけ医の行う医療みたいな言われ方する場合が多いのではないでしょうかね。*1 家から近いし、小児から老人までを責任持って継続的に診てるって考えて上の5つに当てはまるとぴったり来ます。

ここで話はすこしそれますが、米国だと家庭医っていう概念があって、一般的に保険の問題で一人の人がかかれる病院っていうのはもう決まってるんですね。日本みたいに、好きな病院にかかるってことはできない。各家庭で専属の決まった医師がおりまずはその医師が診て、場合に応じて専門の医院に紹介する。まぁおおまかな流れは日本と似てるんだけどそれがもっと制度上明確に規定されてるといったたところで、これをその名の通り家庭医(family doctor)と呼んでるわけです。*2

じゃあ家庭医=日本のかかりつけ医みたいなものですね、ってよく思われますがこれがまた全然違うんですね。まず家庭医っていうのは別に科は標榜してないのでとにかく全部診ます。例えば日本だと妊婦さんが妊娠したらいつも風邪とかで通ってるかかりつけ医には多分行かず自分で調べた産婦人科にいくところを、向こうは家庭医へ行きます。そして家庭医は産婦人科的内診を行って妊婦の様態を継続フォローしているといった具合です。

これが家庭医=総合医=プライマリ・ケアっだとよく思われてる所以で、とにかくなんでも診るんですね。日本のかかりつけ医がなんでも診れないってわけじゃないんですよ。大事なのは制度の問題で、あちらでは医学部卒業後に家庭医養成コースみたいなのがすぐに始まって、家庭医志望の人達はそこで何年も家庭医になるための勉強をするわけです。日本は専門分業が進んでて(もちろんアメリカでも進んでますが)、あまりこういった科横断的な研修を積む機会って無いんですね。じゃあうちのかかりつけ医の内科のお医者さんってなんだったのよって声が聞こえてきそうですが、あの先生達は専門科を何年も勉強なさってきてそれをベースにした診療をしてるのです。日本は科の標榜が自由ですから別にずっと肺の勉強なさってきた先生が「〇〇呼吸器科、胃腸科、内科、外科、耳鼻咽喉科、小児科、アレルギー科」って名乗っても制度上問題は無いわけです。

こういった各国の医療事情を背景にして日本でも総合医を養成しようみたいな声が散見されるようになってきてます。つまり制度として欧米の家庭医のような何でも診れる医師を育てましょうという意味です。ここで重要なのが家庭医・かかりつけ医というのは社会的な枠組みであり、総合医・専門医というのは機能的な枠組みであるということです。欧米だと社会保険制度と医師の研修制度がマッチしているため、実際には家庭医=総合医(=プライマリ・ケアにあたる医師)とほぼなるのですが、日本では家庭医という医師のあり方は今の保険制度上難しいですし、総合医を育てると言ってもそれはつまり大学や市中病院で総合診療にあたる医師ということになってしまいまい総合医養成の目標とするプライマリ・ケアからは少し離れてしまいます。そこで結局は総合医≠かかりつけ医=プライマリ・ケアにあたる医師となってしまうというのが現状です。

長々書いてしまいましたがつまり言いたいのはこれからのプライマリ・ケアはどうなっていくのだろうということです。超高齢化も加速する中、医療の中でプライマリ・ケアが占める割合は高くなって行くとおもいます。果たしてこれから生まれるであろう日本の"総合医"はプライマリ・ケアにどうあたっていくんでしょうか。あるいは別の方向へ向かって行くのでしょうか。

*1:プライマリ・ケアの本質の一つには実は患者に社会との接点を提供するという部分もありますから。

*2:たまに日本で家庭医の普及をって叫んでる人いるけど、あれは保険制度変えろって言ってるんですかね。よく知らないですが。